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396.【犠牲のイメージ】

2009年10月11日
一般的に、犠牲(ぎせい)という言葉には
良いイメージなど無いと思われる。

しかし、福音を学ぶ者にとっては、
犠牲の意味合いが多少違う。

クリスチャンにとっての犠牲の意味とは、
「価値のあるものを、さらにより価値のあるもののためにあきらめること、捨て去ることである。」

そして、イエスは人類の罪の赦しのために、
自らを犠牲として捧げた。

このように、
「犠牲」は、「奉仕」と同じ意味合いを持つ。

価値のあるものを、
より価値のあるものと交換することは、
本来喜びであるはずだ。

例えば、
「君の今日のバイト賃、五千円はあきらめてくれ、
そのかわり、どこでも使える一万円の商品券をやろう」
と言われれば、
その価値がわかる人なら、喜んで応じるだろう。
だれも、五千円を犠牲などとは思わない。

犠牲の意味からすれば、
より価値のあるものに交換することだから、
この例えと同様のことなのである。

それでは、なぜ犠牲が苦しいもののような
イメージになってしまうのだろう?

それは、より価値のあるもののために
今捨て去ろうとしているものが、
あまりにも価値のあるものだと思えるからだ。

私の貴重な人生の時間だったり、財産だったり
最終的な犠牲として、自分の命だったりする。

だから、たとえより価値のあるもののためだ
と思っていても、苦しみを伴ったりする。

しかし、
より価値のあるものを、本当に価値のあるものと
強く思い、認め、感じるなら、
たとえ苦しみの伴う犠牲であっても、
奉仕の喜びは、心に生まれ、満足感も味わえる。

犠牲を払うとき、その犠牲よりも価値のあるもの、
それを感じる心が大切だと思う。

だれも、価値の無いものに、犠牲など払いたくない。
世間的には、それを犠牲という言葉で表現している。

福音の中で生きるとき、
犠牲とは、さらなる価値を見出す行いなのである。

昔のユダヤの時代、
燔祭(はんさい)のいけにえとして捧げていた動物は、
牛の初子(ういご)だった。

牛偏の側に、「義」に「生」きると書けば、
「犠牲」という漢字になる。

義に生きるために、
価値あるものを、
より価値あるもののために、
捧げること。
それが、犠牲ということ。

犠牲とは、崇高な行いなのである。



関連過去記事;  第125話.【犠牲と効果の法則】   第186話.【内なる優しさ】 



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